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べ合っても、それはその人個人の考えたから、正面切ってとやかく言う人は居ない。私の考えに賛成の人たちは同感だと言ったり、書いたりしてくれるが、反対の人は何も一言わない。
つまり、川柳はこういうものだという公式の見解などは一切無いというのが現状だと思う。そういう中で日川協としての見解を出せと言う人も居た。五七五の定型を尊重する。語呂合わせではない、作者を明示する、などあまりさしさわりのない点で日川協の見解を発表した。これを決める時でもかなりの異見があった。
客観的でなければいけない、また、そうでないとユーモアも風刺も生まれないし、川柳に笑いが無くなったら意味がないではないか、と大きな声で言いたい私の見解など盛り込むことは出来なかった。これを出したら恐らく日川協の見解など、まとめることは出来なかっただろうと思う。
柳界のリーダーたちの考え方も変わったのか、昔はもっと分かりやすい句を作っていたのに、今はこんな句だって私には分かると言わんばかりの難解句を抜句する。本当に分かっているのかなと思うが、私のように教えてという出方をすると黙して語らず、あげくの果ては川柳なんて解説すべきものではないですよねである。私だけがバカなのだろうか。
カルチャーの教科書が欲しいという要望が多い、でも、日川協として手をつけると、日川協見解より奥に入りこまなくては教科書にならない。それでも出来るか、出版委員会としての正念場が近づいて来ている。あまり、手をつけ過ぎて、せっかく川柳という漠然とした名称で一本化されている柳界が分裂してしまう、いや、分裂していても、片方が大き過ぎていて、残りが小さ過ぎている現状をハッキリと分裂させなければいけないかもしれない。
そんな不都合なことならやめてしまえという人も多いだろうし、そういうことがあろうとなかろうと、これはいけない、あれはいけないという規制ばかり作るのはよくないという老人とか怠け者も居ないわけではない。何かしなくては、という意欲だけは持たなくてはいけないと思う。
柳界にはリーダーが必要だが、ワンマンでもいけない。と言ってマアマアでもいけないだろう。とかく、むつかしいものだと思う。

 

 

 

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